子ども・育児

診察を終えて

第三子が誕生し、早いもので8週間になろうとしています。
実は、出生直後の診察にて、
赤ちゃんのおしり(仙骨部)に、くぼみがあることを指摘されていました。

「二分脊椎」の疑いがあるということで、
2週間ほど前にMRI、そして本日、結果説明を受けてきました。

結論から言うと、
「二分脊椎」ではありませんでした。
画像上、脊椎が分かれているという所見もなく、
また、脊髄周辺にできもの(脂肪種?)のようなものがある様子もないということ。
特に、今後フォローの必要もないということで、
ひとまず、出産後からの病院通いは、卒業ということになりました。

さて、
「二分脊椎」という病気については、
日本脊髄外科学会のHPに、以下のように記されています。

二分脊椎とは、脊髄馬尾神経が入っている背骨のトンネル(脊柱管)の一部の形成が不完全となり、脊髄馬尾神経が脊柱管の外に出てしまっています。それにより、神経の癒着や損傷が生じてしまい、様々な神経障害が出現する可能性があります。

日本脊髄外科学会

さて、今回はその病気の詳細を解説することが目的ではなく、
こうした検査や診察、そしてその説明を受けた、一人の父親として感じたことと、
もう少し踏み込んで、宗教者でもある自分自身とどう向き合うかということをまとめたいと思います。

もともと、今回は、細々としたマイナートラブルにあれこれ見舞われた妊娠・出産でした。
そこに来て、出産後にも今回のように気になる点を指摘される。
「元気」であることが、いかに奇跡的なことなのかということを、改めて感じました。
幸い、長男・長女も健康に生活しています。
それもあって、正直、妊娠や出産に関して、そのこと自体がいかに奇跡的で、またリスクを伴うことなのかということを、
甘く考えていた部分がなかったとは、正直言えません。

今回、結果として、大きな問題はなく経過しています。
しかし、もし妊娠中にトラブルがあったら?
分娩時にトラブルがあったら?
産後、産褥期にトラブルがあったら?
もしかしたら、赤ちゃんだけではなく、ママも危うい状況に陥ったかもしれない。
そういうことを、「考えないように」していた自分が、どこかにあったように思います。

ただ、だからといって、
そうしたリスクを考えて「出産をしない」ということではありません。
今ある命が、いかに尊いものか、こうした実体験を当してようやく気付けることができたということです。
「頭ではわかっている」ことと、
「体全体で納得している」ことは、実は違うのです。

◎蛇足ですが、


大学時代に読んだ本で、『歴史の中に自分を読む』(阿部 謹也/ちくま書房)の中に、
「わかるということは、変わるということ」という文言がありました。
本当の意味でわかるということは、それに伴って、自分自身のありかたが何かしら変化をするものだというのです。
そういう意味では、自分は子どもが生まれるということの重みを「わかって」はいなかったのでしょう。

そして、もう一つ。
「二分脊椎」という、場合によっては、手術や、あるいは成長に合わせて障害の残る病気の可能性を指摘され、
不安に思った自分と、
さらには、「大丈夫だ」と言われて
安心した自分
についてです。

ああ、よかった。
それは、それで、親としてもちろんそうなのでしょう。
が「障害をとともに生きる」ことを、受け止めきれない自分と、
それが回避されたことに安どする自分に、もやもやしたものを感じてもいます。
つまり、
そこに自分という先入観からくる「よい」「わるい」のフィルターをかけてしまってはいないかということです。

「命あるだけで」と、確かに思いました。
が、次から次へと「〇〇ができたら」「~でなかったら」といった、希望や願いが、どうしても次々にあふれてきてしまいます。
「命あるだけで」ではなかったのかということです。
そこに、「命の価値」に対する偏った思い込みがなかったとは言えません。

今回で、ひとまず、診察に通うことは終了です。
しかし、「いのち」をいざ考えた時に、
自分や、自分の大切な存在が直面した問題と向き合うことは
容易なことではないことに、改めて気づかされました。

ABOUT ME
ひび たかまさ
1981年11月生まれ。 言語聴覚士、旅行介助士、公認心理師、お寺の副住職、消防団員、合唱指揮者。病院勤務時代、第3子の誕生を期に5か月の育児休暇を取得。大いに自らの価値観が見直されるきっかけになった。 2022年、病院を退職し、個人事業として開業。病院・訪問リハビリ・塾講師などを兼務しながら、失語症者の支援が自分の主な役割だと感じている。
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