子ども・育児

ギャン泣きに耐えられない!ママだってパパだって、怒れてきて当然!!

育休生活も、1か月半になりました。
「明日の仕事・・・」と考えない日常が、だんだん特別ではなく通常となりつつあります。
さて、今回は少しだけ愚痴っぽくなりますが、
育児のストレスを、どう処理するかという話です。

子どもはかわいいし、何よりも大切だと、胸を張って言えると思います。
が、
やっぱり、イラつくことも少なくないですよね。
ワタクシの場合は、どうしても、「泣き声」がしんどい。
特に、毎晩9時ごろの「寝ぐずり」は、ひどいときには1時間以上ギャン泣きをされ、
っ本当にイライラするし、
感情的にもなってしまいます。
・・・怒っても、余計泣くだけなのに。

ちなみに、少し古い文献ですが、
名古屋学芸大学看護学部教授の清水嘉子氏のまとめた論文において、
「外国人の多在住4市の保育園に調査用紙を配布し韓国・中国・ブラジル人の母親210人より回収された結果を国別に分析し,日本の母親625人との比較を行った.(中略)育児ストレスはブラジルの母親が最も低く,次いで中国,韓国,日本となっていた.育児幸福感は逆の順位となり日本の母親が最も低かった.夫に対する信頼や大切な気持ちは日本の母親が最も低く,育児を取り巻く人に対するストレスが日本の母親に高いことが裏づけられた」(母性衛生 = Maternal health 43(4), 530-540, 2002-12-01)
とあります。

奇しくも、育休という初めての経験を経て、それまでママが抱えていた不安や不満、苛立ちなどの育児にまつわる様々なストレスを、身をもって体験しているという形になるのでしょう。「逃げられない」というプレッシャーもあります。
今までは、夜ギャン泣きしてイライラしたとしても、翌日普通に出勤して、また夕方帰ってくる生活でした。
これは、確かに体力的には楽ではないものの、非常に気分転換になっていたのかもしれません。
同僚や、先輩に愚痴ってみたり、
ワタクシの場合、リハビリの仕事なので、担当している患者さんに、世間話がてら話をしたりということができていました。

これは、まったくの主観なので、あてになるかは怪しいですが、
出産後2ヶ月前後の時期における、イライラ度は、今回が一番強いような気がしています。
「1日子どもと2人でいるって、むっちゃしんどい」
と思うし、
「え、もうこんな時間?!」ということは、もはや毎日の日課のようにして感じているのです。

<イライラの原因がなくなるわけではない>
かといって、
何かをどうかすれば、赤ちゃんが泣かなくなるということではないし、
これから、もっといろいろな事でストレスを感じる場面は出てくると思います。
※寝ぐずりについては、トレーニングでもしかしたら克服できるかもしれないと、
一縷の望みをかけて、いま寝んねトレーニングに挑戦しています。

そして、
1つ、夫婦の間で今ではありますが、約束ごとを作りました。
「もう無理、って、言おう」
ということです。
ワタクシは特に、ストレスがたまると意固地になるきらいがあって、
やけになるというか、頑なになってしまいがちです。
でも、そうではなくて、
「ちょっと、もうむり、代わって」と、お互いちゃんと吐き出そうということです。
その上で、場合によっては
「タイムアウト」の時間を設けられるように、お互いをフォローできるようにしようという話をしました。
できるだけ、夫婦2人が、そろっていっぱいいっぱいにならないように、という狙いもあります。

こんな話をしても、ないものねだりなのですが、
昔は大家族で、父母だけではなくて、祖父母も兄弟もふくめ、家族みんなで赤ちゃんを、たらいまわしにしていた時代がありました。
3世代4世代で同じ生活をすることは、もちろん大変ではあるのですが、ことに子どもを育てるという点においては、理にかなった生活スタイルなのかもしれません。
子どもは、みんなで育てる。
家族どころか、地域の中の子どもという意識が、本当にあったそうです。
いまは、良くも悪くも生活単位が小さくなって、自由が効くといえば確かにそうですが、逆に、全部自分たちでやらなければならい。
だから、よりストレスにも感じるし、そのストレスを吐き出す先も少ない。
コロナで外にでられない生活環境が、余計に拍車をかけているように思います。

幸い、育休をとっている自分たちは、少し人手に余裕があるとも言えます。
お互いに、良い意味で責任を押し付けあって、抱え込まないようにしていかなくてはいけないなと思います。

ABOUT ME
ひび たかまさ
1981年11月生まれ。 言語聴覚士、旅行介助士、公認心理師、お寺の副住職、消防団員、合唱指揮者。病院勤務時代、第3子の誕生を期に5か月の育児休暇を取得。大いに自らの価値観が見直されるきっかけになった。 2022年、病院を退職し、個人事業として開業。病院・訪問リハビリ・塾講師などを兼務しながら、失語症者の支援が自分の主な役割だと感じている。
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